みなさん、こんにちは。ノウハウツリー管理人です!
ここ最近、北の将軍様がミサイルをか片っ端からぶっ放していますね。
日本政府は、北のミサイルから守る為に防衛費を増やさなくてはならない!などと主張をしています。
忖度してもらうのが大好き我らが安倍首相がやたらと不安を煽る発言をし、防衛費を上げようと必死です。
税金から捻出される防衛費は三菱重工に垂れ流されます。三菱重工の株式は自民党を中心とした政治家が株をたくさん保有しています^^
つまり、不安を煽れば株価があがって含み益が出るんです。
物事の本質を皆さんも理解する様にしましょう!
あんまり安倍首相を批判すると、闇の圧力で嫌がらせが来る様ですので、我らが日本国の安倍を批判する記事はこの変にしておきます^^
さて、テレビの報道では将軍様のぶっ放すミサイルは失敗する確率が高いという印象を受けているのではないでしょうか?
国際宇宙ステーションにドッキングさせるロケットは、成功した時にだけマスコミがやたらと放送します。
ですが、実際にはミサイル発射はアメリカ・ロシア・中国といった大国もかなり失敗しまくっています。
今回は、数々の失敗したミサイル(ロケット)発射のうち被害が甚大だったロケット発射10選をご紹介していきます。
さぁ、行ってみましょう!
民間の打ち上げロケット「アンタレス」の事故
国際宇宙ステーションISSへ補給物資を運ぶための民間無人宇宙補給機シグナスを搭載したアンタレスロケットは、2014年10月28日午後、アメリカのワロックス飛行施設からの打ち上げ数秒後に爆発し、中部大西洋地域宇宙基地も多大な被害を受けました。事故原因究明のためにアメリカで設置された事故調査委員会によると、ロケットエンジンの欠陥が原因でした。疑う余地もなく、この事故はロケット開発企業であるオービタルサイエンシズ社にとって大失敗となりました。
プロトン-M墜落事故

2013年7月2日、グロナス衛星3機を搭載したロケット、プロトン-Mは、バイコヌール宇宙基地からの打ち上げ直後に落下しました。調査報告によると、空間におけるロケットの姿勢を制御するための角速度センサーが逆向きに取り付けられていたことが原因でした。この打ち上げには保険がかけられていなかったため、事故による損害額は日本円に換算すると140億円とも言われています。
ヴァンガードTV3

この大惨事が起こったのは、アメリカが初めて人工衛星の打ち上げを試みた1957年のことでした。1957年12月6日、ロケット、ヴァンガードTV3は地上から1.5メートルほど離床したあと、バランスを崩して落下し、爆発しました。ロケットは燃料を満載していたため、その爆発は、とにかく甚大な規模のものでした。開発者たちは、その後長い間この悪夢にさいなまれることになりました。
タイタン401A

タイタンロケット事故の原因は、発射40秒後に誘導システム内の不具合のあったワイヤーハーネスがショートしたことでした。これは、宇宙開発史上最も高額な損失額をはじき出した大惨事の1つとなりました。タイタンロケットの費用は、搭載していた人工衛星も含め、計10億ドル以上とも言われています。
N-1大惨事

1969年7月、数年内にソ連の宇宙飛行士月面着陸の実現を目指す、超重量級打ち上げロケットN-1の開発が着々と進んでいました。しかし、7月3日に行われた打ち上げは大失敗でその幕を閉じることになります。ロケットが到達したのは、高度はたったの200メートル、その後、エンジンが停止し始めました。2トンもある機体は発射台に激突し、他の発射台を巻き込む大爆発を起こしました。この大惨事はロケットの爆発事故として史上最大のものであり、非核爆発としても最も規模の大きいものとなっています。
チャレンジャー号爆発事故

1986年1月28日、スペースシャトル、チャレンジャー号の10回目のフライトを目撃しようと、ケープ・カナベラルには数十人の記者、児童などの見学者がやって来ていました。打ち上げはテレビで中継されていました。シャトルには7人の乗組員がおり、その中にはプロの宇宙飛行士ではなく、応募者の中から選ばれた女性教師も1人含まれていました。当時スペースシャトルの打ち上げは最低でも気温11度で行うよう推奨されていたにもかかわらず、当日の朝はマイナス2度と冷え込んでいました。事故は、打ち上げから73秒で起こりました。シャトルの一部が外れて燃料タンクに穴を開けてしまったのです。チャレンジャー号は、見物者たちが驚きの眼差しで見守る中、空中で爆発しました。恐怖におののく人もいましたが、ほとんどの人は、一体何が起こったのか事態を飲み込めないでいました。計画に沿ったブースターの切り離しだと勘違いして拍手をおくる人さえいたほどです。
アルカンタラ射場の事故

2003年、星に到達しようとする試みへの代償を血で払うことになった悲劇の国リストにブラジルが加わることになりました。8月25日、3段式のロケットVSL-1は、発射前の最終点検段階で第1段階目の4基あるエンジンのうち、1基がなんの前触れもなく点火、さらに隣のエンジンまで燃焼し、数秒後には爆発、21人が死亡し、20人以上が負傷することとなりました。爆発で発射台は倒壊し、10階建て建造物は、ぐにゃぐにゃに曲がった鉄骨の塊と化しました。
プレセツク宇宙基地の事故

1980年3月18日、プレセツク宇宙基地では偵察衛星イカールを搭載したボストーク2Mの打ち上げの準備が進んでおり、ケロシン、液体酸素、窒素など、さまざまな燃料の注入が行われていました。その最終段階で、過酸化水素の注入が行われていた時に炎上。その結果、300トンもの燃料が爆発しました。大規模な火災が発生し、現場で44人、さらにやけどで4人、計48人の命を奪い、39人の負傷者を出しました。
西昌(せいしょう)衛星発射センターの事故

アメリカ製の衛星インテルサット798を搭載した中国の長征(ちょうせい)ロケットは、1996年に打ち上げを予定していました。打ち上げ予定は現地時間の2月15日、場所は中国南西部の西昌衛星発射センターが選ばれました。ロケットは予定時刻通りに発射されましたが、すぐに機体が傾き始め、22秒後には発射センターから近くの村に墜落、その後爆発しました。アメリカと中国において、それぞれ事故調査委員会が設置されました。どちらも事故の原因については同じ見解を示しましたが、犠牲者に関する調査結果については、中国政府の発表では死者は6人だったのに対し、アメリカ側は数百人にも上るという、全くもってかけ離れたものでした。
ニェジェーリンの大惨事

1960年10月24日、バイコヌール宇宙基地では、大陸弾道ミサイルR-16の試験打ち上げの準備が進められていました。10月、革命記念日に合わせて発射が計画されていたため、その準備は、ほぼあらゆる安全技術基準を無視するほど急ピッチで行われました。発射まで30分を前にして、突如第2段目のエンジンが点火し、それがロケットの瞬発的な爆発へとつながりました。この爆発で発射台は崩壊し、おびただしい数の犠牲者を出しました。公式発表によると砲兵総元帥だったニェジェーリンを含む、計74人が死亡しました。この大惨事はロケット開発史上、最悪のものとなりました。それ以降10月24日は、宇宙飛行関係者にとって追悼の日になっており、バイコヌール宇宙基地では打ち上げが行われることはありません。
あらゆる宇宙開発は、ロケットの墜落事故なしでは考えることができないものです。人類は、自身の野望を叶えるため、その代償としてお金だけではなく、命までも差し出さなければならないことが多々あります。あぁ、なんてことでしょう。
今回もノウハウツリーに起こし頂きましてありがとうございました。また、不定期に知的好奇心を揺さぶる楽しい話のネタをリサーチしますね!では、さようなら!



















ユニカブを自転車と呼ぶことはできますが、多くの言葉で補う必要があります。ユニカブはコンパクトなサイズで、楽に座ることができ、全方位へ自由自在な動きが可能です。ASIMOの開発を通じて蓄積された知識は、技術者たちが3xの本格的な実現へ近づくことを可能にしました。ユニカブは、2009年に公開された3xの次の世代の自転車で、自社の技術である、世界初の全方向移動型車輪と、バランス制御のシステムが応用されています。ユニカブの基本的なコンセプトとなっているのは、前後に移動することを可能にしている車輪であり、その車輪のリムの外側と、その軸に対して垂直の方向に配置されている車輪の構造です。












銃口が1つというのも悪くないけど、4つあるともっといい。このような考えに基づいて、ダック・フット・ピストルの製作は始まりました。どうしてこんな変な名前なのかというと、理由は複数ある銃身の配置にあります。銃身は全部で4つあるのですが、これらがまるでアヒルの足のようにばらばらの方向を向いているのです。銃身は少しずつ違う角度で配置されているため、射撃範囲が格段に広がります。このピストルを所持していれば、複数の敵を一気にやっつけることができるでしょう。
世界最大のリボルバーとしてギネスブックに載っています。この銃の発明者は、ポーランド出身の設計者、リシャルト・トビス氏です。彼の夢は、とにかく何か壮大なものをつくること。そしてレミントン社の伝説のリボルバー、スケールアップモデル、トビー・レミントンの製作を決意します。数年後トビス氏は、その作品を披露しました。口径28ミリ、弾頭の重さは138グラム。そして銃の総重量は、46キログラム。射程距離は50メートル以上で、この世界記録は現在も破られていません。


口紅型ピストルは20世紀中頃に発明されたものですが、それよりずいぶん前にも女性の護身用に、ある面白いものが製作されていました。それはヴィクトリア朝時代のイギリスで考え出された指輪型ピストルで、6発装填可能なミニリボルバーです。銃身は小さいですが、首などの体のあらわになっている部分に1発でも命中すれば、致命傷を与えるには十分でしょう。
光線はスネルの法則によって、例えば水と空気のような、異なる2つの媒体の境界面に差し掛かると、その進行方向を変えます。レーザーポインターを、その光線が水の入ったペットボトルを水平に通るように台に固定します。そしてレーザービームがペットボトルとぶつかるところに穴を開けると、容器から水が流れ出し、その水に合わせて、光線が曲がるようになります。レーザーはこの細い水流の中で全反射を繰り返し、水の表面をまるで合わせ鏡のように行ったり来たりジグザグに進むため、水の中に捕らえられたような状態になります。同じような現象は、砂糖水を入れた水槽を使っても観測することができます。この場合、砂糖の濃度差によって異なる媒体ができあがり、動きのないはずの水中でレーザーの光が曲がるようになります。ただし、砂糖の濃度が一定にならないよう、水槽を揺らさないように気をつけないといけません。
ドイツの物理学者、エルンスト・クラドニは、振動板におけるさまざまな振動パターンを研究しました。彼はイギリスの科学者ロバート・フックが1680年に、オックスフォード大学での研究中に行った実験を再現しました。フックは物体に振動を与えると、その形が変動することに気づき、小麦粉をまぶした平板にその縁の部分をボーイングでこすって振動を与えながら、どのように小麦粉が動くのか観察しました。クラドニは自身の観察結果をまとめ、1787年に著書「音響理論に関する発見」を出版しました。二十世紀になると、より正確に適した周波数にするため、ボーイングを使う代わりに平板の下にスピーカーを取り付けるようになりました。音、音圧、振動の影響を受けて、ガラス板などの平板にまかれた砂などの粉体は、くっきりと幾何学模様を書くように整列します。模様は周波数によって変化します。クラドニ図形が現われるのは、振動する板の上で入射波と反射波が合成することにより、定常波が発生するためです。振動の節となる部分は振動しないため、そこに粉体が集まり、平板の形や大きさ、あるいは振動数によってさまざまな模様ができあがります。
