「刃物を持って暴れている犯人には、ためらわずテーザー銃を撃てばいいのに」。こう感じたことがある人は多いと思います。アメリカの警察の映像を見れば、テーザー銃で一瞬にして制圧している場面もありますし、「日本も同じようにすれば被害は減るのでは?」という疑問は自然です。
しかし、結論から言うと、日本でテーザー銃が“ガンガン使われない”のは技術の問題ではなく、法律・責任・社会の空気といった「制度設計」の問題です。この記事では、「市民を守るためには撃つべきだ」という直感を起点に、なぜ日本では簡単に導入できないのか、そして導入するなら何が必要なのかを、できるだけ分かりやすく整理します。
「市民を守るなら撃てばいい」は現場目線では正しい
まず前提として、「危険な犯人を迅速に無力化した方が市民の被害が減る」という考え方自体は合理的です。たとえば、駅や商店街で刃物を振り回している人物がいたとして、説得を続けている間に第三者が刺されるリスクがあるなら、即時に制圧できる手段の価値は高いでしょう。
この意味では、「武器だろうが何だろうが、市民の生活を守るために撃つべきだ」という感覚は、被害者側の視点としてごく自然です。むしろ、治安の議論では最初に出てくるべき視点でもあります。
それでも日本では普及しない理由:問題は武器ではなく責任設計
ここで重要なのは、「使うべきかどうか」と「使える制度になっているか」は別問題だという点です。日本では、警察官が強制力を行使した場合、結果に対して非常に厳しく検証されやすい傾向があります。
乱暴に言えば、日本社会には次のような“ねじれ”があります。
- 市民が傷ついた場合:「犯人が悪い」
- 警察が強制力を使い、犯人が重傷・死亡した場合:「警察は本当に必要だったのか?」
つまり、市民を守るために強制力を使ったとしても、事後に「別の方法があったのでは?」「過剰では?」と追及される構造が強いのです。これは警察官の気持ちの問題というより、責任の帰属がそうなっているという制度の問題です。
テーザー銃は「安全な道具」ではない:事故・転倒・心停止リスク
テーザー銃は銃よりは非致死性(致死性が低い)とされますが、「絶対に安全」ではありません。体質や既往症、薬物の影響などの条件が重なると、重篤な結果が出る可能性があります。また、電撃によって転倒し、頭を強く打って致命傷になるケースも想定されます。
つまり、テーザー銃を使った結果が重大事故につながった場合、日本では「そもそも使う必要があったのか」が激しく問われる可能性があります。ここが「テーザーなら安心して撃てる」という単純な話にならない理由の一つです。
アメリカと日本では前提が違う:テーザーは「銃よりマシ」な選択肢
アメリカでは、警察官が武装しているだけでなく、市民側も銃を所持できる社会です。つまり、現場での危険度が日本とは根本的に違います。そのため、テーザー銃は「銃で撃つよりマシな手段」として位置づけられる面が大きいのです。
一方、日本は基本的に市民が武装しておらず、治安モデルそのものが違います。警察の行動も、まず説得・制止を優先し、強制力の使用は最終手段という文化が強い。ここが「同じ道具を持てば同じように運用できる」とはならない理由です。
日本で本当に必要なのは「武器配備」ではなく「使用基準+免責+社会合意」
「撃った方がいい」という主張が現実として成立するには、次の3点が不可欠です。
- 明確な使用基準:どの状況なら使用できるのかを具体的に定義する
- 事後の法的保護(免責):基準を満たしていれば警察官個人が過度に追い込まれない仕組み
- 社会的合意:「市民を守るために一定の強制力を許容する」という共通認識
この3つが揃って初めて、「市民を守るためにためらわず使う」ことが制度として可能になります。逆に言えば、武器だけ渡しても、制度がなければ現場は動けません。警察官が個人として人生を賭けるような構造のままでは、普及も運用も進みにくいのです。
現実的な導入案:限定配備・記録・検証のセットが必要
もし日本でテーザー銃を導入・拡大するなら、現実的には「何でもかんでも撃てる」ではなく、かなり限定した設計になるでしょう。たとえば以下のような形です。
- 対象は「刃物」「明確な暴力行為」「差し迫った危険」などに限定
- ボディカメラ等の記録を原則とし、後から検証可能にする
- 運用訓練を体系化し、誤用を減らす
- 要件を満たす限り警察官を保護する(過度な個人責任化を避ける)
つまり「撃てばいい」ではなく、「撃つべき場面を明確にして、撃った側も守れる」ようにすることが本筋です。これがないまま強硬論だけを言っても、結局は誰も動けず、現場の萎縮が続く可能性があります。
まとめ:論点は「撃つかどうか」より「撃った警察官を守れる社会かどうか」
「市民を守るなら撃てばいい」という感覚は、被害を減らす観点では正しい面があります。ただ、日本でテーザー銃が普及しない理由は、単に警察が弱腰だからではなく、法的・社会的に“撃った側が守られにくい”責任設計が背景にあります。
結局のところ、問うべきは「テーザー銃を配備するか」だけではなく、次の点です。
- どんな条件なら使用を認めるのか
- その使用を正当として社会が支持できるのか
- 正当な使用をした警察官を制度として守れるのか
テーザー銃の議論は、治安を守るための道具の話であると同時に、「社会が強制力をどう扱うか」という価値観の話でもあります。だからこそ、単純な賛否ではなく、制度の設計として考えることが大切です。