35.【衝撃】実際に冷凍保存された人々5選 嘘のようで本当の話に世界が震えた!


35.【衝撃】実際に冷凍保存された人々5選 嘘のようで本当の話に世界が震えた!

”死”からは絶対に逃れられない

唯一のものである。だが、どうしても死を受け入られずに、新たなる技術にその身を託す人は後を絶たない。SF映画でしばしば見かける人体冷凍保存もその1つである。現在の医療技術で蘇生が不可能とされた人体を冷凍保存し、未来に技術が発展する事を期待して、蘇生が可能になったころに解凍して治療する考え方である。実際に冷凍保存されたケースをサイドストーリーと共に紹介していきます。

掲示板への投稿がきっかけで冷凍保存された女性

脳神経外科を専攻していた23歳の学生

キム・スオッジは、末期の脳癌と診断された。悩んだ末、治療法が見つかる日がくるまで自分を冷凍保存しておくため、インターネット上で資金を募った。その努力が実りキム・スオッジは現在、冷凍保存されている。あと数か月の命だと悟ったスオッジは、海外掲示板上に残りの日々をどう過ごすべきかという質問を投げかけたところ、冷凍保存に関する話題が持ち上がった。そこでスオッジはネット上で助けを求める発言を発信していたところを”ベントゥーリズム・ソサエティ”の有志含む未来信者たちが、慈善活動を立ち上げ、この冷凍保存というアイディアを実現するために必要な大金を集めるのに協力した。スオッジは2013年1月17日にその生涯を閉じたが、今現在、臨床的に亡くなった状態で保存されている。

最年少の冷凍保存ケースとなった2歳の少女

タイ人のマセリン・ナオバラトポンちゃんは、冷凍保存された人類の中でも、最年少であろう。ある朝突然、マセリンちゃんは自分で目を覚ます事が出来なくなった。彼女は、とても若い世代に多い、特殊な脳腫瘍と診断された。集中治療を初めてから脳外科手術を12回、化学療法を20回、放射線治療を20回など、現代医学を駆使したあらゆる治療が行われたが、どうにもならなかった。2015年1月8日、彼女の両親が延命措置を切ると、彼女は息を引き取った。亡くなるまでに左脳の80パーセントを失っていた彼女は、実質右半身が麻痺した状態だった。どうしても諦められない彼女は、マセリンちゃんの体を冷凍保存してもらおうと、その業界で一番知られている会社にお願いした。マセリンちゃんの体は現在、アリゾナに本社を置くアルコーという冷凍保存施設で管理されている。凍らされた脳と体は、マイナス196度で別々に保管してある。いつか科学が進歩し、彼女の命を取り戻せる日が来て欲しい、と言うのが彼女の家族の希望である。また、彼女の両親は、彼女の脳細胞や体の他の部分を保管することによって、いつか彼女の命を奪ったこの病気についての研究が進む事も望んでいる。

妻を冷凍保存するために詐欺師になった男

ワイルオンチェイは、出資者たちに金融商品、外国為替・貴金属への投資を持ち掛け、15万ドル(約1,800万)を集めると2009年に死亡した彼の妻の冷凍保存の為に利用した。チェイがやり取りに使っていた銀行口座はまだ見つかっていない。検察官によると、2011年に取り調べが行われている最中に、当時38年の彼はニューヨークからペールへ飛び立ち、それ以来行方不明になっている。昨年、州の商品先物取引委員会が彼に対して提出したこの件に関する民事訴訟への回答は、彼からも彼の弁護士からも得られていない。チェイは、毎年24パーセントの利益を還元することを約束し、「この取引にはリスクが無い」と言い500万ドル(約6億円)以上の出資金を募った。集めたうちの200万ドルの一部を妻の冷凍保存を含む個人的な目的の為に使用した。投資家の一人が、チェイと会う度に彼が運転している車種が違うのに気づいた事で、ようやく発覚した。チェイの手口は偽の口座情報を提示することによって出資者たちを欺き、新株の投資者たちの出資金を使いまわして、古株の投資者達に偽の配当金を工面していた。

人類初の蘇生目的の冷凍保存となった人物

一般的に、人類で初めて将来的な蘇生を目的に冷凍保存された人物とされているのは、73歳で亡くなった心理学の教授、ジェームス・ベッドフォードである。彼は1967年1月12日に、CSC(カリフォルニア低温保存会)によって粗雑な状態で保存された。冷温保存コミュニティの中では、彼の冷凍保存の記念日を「ベッドフォードの日」としてお祝いしている。この話は、アポロ1号の火災事故を報道するまで、ライフ誌の限定版の表紙も飾っていた。ベッドフォードの遺体は、家族によって液体窒素につけられ、1982年までカリフォルニア南部で保管されていたが、その後アルコー延命財団へと移動され、今現在も大事に保管されている。

冷凍保存を望んだビットコインの先駆者

2014年、ビット・コインの先駆者であるハル・フィニーは、世界で最も価値の高い暗号通貨の第二の開発者として広く知られている。彼は、58歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)に侵され、5年の闘病生活ののち、この世を去った。2008年、ALSと診断される1年前、オンライン掲示板上の暗号化技術はどんどん展開を進め、ついにフィニーが世界で初めて、ビット・コイン取引の受領者となった。彼は亡くなる前、自分の遺体をアルコールで冷凍保存して欲しいと希望していた。彼の遺体は、現在450リットルもの液体窒素で満たされた304センチはあるタンクの中で保管されており、体内の血液やその他の体液を抜かれた状態になっている。

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