40.技術者のミスが招いた歴史的な大惨劇 9選
人はより良い生活を送るために様々なものを発明し、同時に多くの過ちを犯してきました。ほんのわずかなミスが、大きな事故を招いたことも数多くあります。今回は、20世紀以降に起きた人的ミスによる大事故をご紹介します。
飛行船R101号事故
イギリスの飛行船R101号は1930年10月4日午後6時過ぎに処女飛行に出発しました。ロンドン郊外のハーディントン飛行場から、当時イギリス領インドだったカラチに向かう予定でした。5日未明、フランス上空を飛行中のR101は突風によって、外皮が引き裂かれ剥き出しになったガス袋が破裂しました。飛行船は失速し、時速僅か20キロでパリの北、オーヴェ近くの丘に墜落、爆発しました。乗客乗員54人のうち46人が死亡し、救出された人のうち2人も後に病院で亡くなりました。事故原因は数カ月経っても特定されませんでした。しかし、テスト飛行の間に多くの問題点が指摘されていたにも関わらず、空軍省によって開発を急がされ、改造などの対応が十分でなかったと言われています。
メキシコ湾原油流出事故
2010年4月20日夜、メキシコ湾の石油掘削施設ディープウォーターホライズンで、減圧テストが行われた際、技術者が判断ミスを犯し油田から天然ガスが逆流しました。逆流したガスは引火して、大爆発を起こしました。施設は炎上、沈没し、大量の原油が海に流出しました。流出は400万バレルに上り、同年7月15日にキャップが設置されるまで続きました。事故の後の調査により、企業の管理や操業の問題が次々に明らかになりました。施設には予算削減によって、構造上の欠陥が多々あり、テストも適切になされていませんでした。多くの過誤と怠慢によって、史上最悪の海洋原油流出事故は起こり、11人が命を失いました。
タコマナローズ橋崩壊
ワシントン州の海峡タコマナローズに架かる初代タコマナローズ橋は、当時世界で3番目に長いつり橋で、最新の理論で設計されました。しかし、予算削減と合理性追求のため橋は異常に軽く、また幅も余裕のないものでした。橋は建設中から風で上下に揺れ、強度に疑問を呈する声が上がっていました。1940年開通から僅か4カ月後の11月7日、風速64キロで橋は崩壊しました。衝撃的な事故の様子は、カメラに捕らえられ、科学と工学の世界、とりわけ架橋設計の分野に影響を与えました。事故の主な原因は、橋げたの厚さと振動の関係が理解されていなかったことと、剛性の不足だと言われています。
セントフランシスダム決壊
1920年代、土地開発が進むロサンゼルスで、需要に対応すべく大規模なダムが建設されました。これがセントフランシスダムですが、水を入れる段階で、既にいくつかの亀裂が見つかり、その後も亀裂や漏れが度々発見されました。1928年3月12日の午前、ダムの設計者マルフォランドが定期検査を行っている間に、また新たな亀裂の報告がありました。しかし緊急の対応は必要ないとして、マルフォランドはロスに帰り、その数時間後ダムが決壊しました。4700万㎥の水がロスの北、サンタクラリタバーレに流れこみ、建物10階分の高さの水の壁が時速29キロでサンタクララを襲い、ベンチュラを飲み込んで、海へ向かいました。サンタポーラの街は、6mの泥と瓦礫の下に埋もれ、ベンチュラ郡の多くも最高で21mの泥の下敷きになり、432人が死亡しました。事故の原因として、設計の欠陥が指摘されていますが、建設された場所もダムに不適切でした。
ペインウー湖事故
ルイジアナ州のペインウー湖は1980年事故が起こるまで、深さ3mほどの湖でした。事故当時、湖の底ではダイヤモンドクリスタルソルトカンパニーが岩塩採掘を行い、湖上の施設ではテキサコが原油採掘を行っていました。1980年11月20日、テキサコの作業員がドリルで誤って、岩塩鉱に穴を開けました。突然出口を見つけた湖の水は、その穴をめがけて流れ始めました。水は、バスタブの栓を抜いた時のように渦をつくって、次第に勢いを増し、採掘用のプラットフォームや輸送船、65エーカーの湖を囲んでいた樹木をなぎ倒して、飲み込みました。幸い犠牲者は一人も出ませんでしたが、事故で塩水が逆流し、ペインウーは塩の湖に変わりました。
スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故
1986年1月28日、アメリカのスペースシャトルチャレンジャーが発射されました。打ち上げの直後、右側の固体燃料補助ロケット、略してSRBから黒煙が出ているのが確認されました。数秒も経たずにSRB付近から炎が上がり、機体に広がりました。発射から72秒後、シャトルはほとんど白い煙に包まれて見えなくなり、その1秒後大きな爆発を起こして、火の玉となりました。乗員7名は死亡しました。調査の結果、当時の気温がSRBの密閉用Oリングが適切に作用する温度を大幅に下回っていたことが分かりました。数人の技術者は、夜間の低温が危険だと警告していました。
Oリングによるガスの密閉が可能なのは、摂氏12℃まででしたが、当時は異常寒波で昼の発射時間にも2.2℃しかなく、発射台には氷が張り付いていました。
三豊百貨店崩壊事故
1980年代中頃、韓国は経済発展に伴う建設ラッシュに沸きました。三豊グループはソウルの中心地に、4階建てのオフィスビルを建設予定でしたが、5階建てのデパートに変更しました。工事を行っていた建設会社は変更を拒否し、三豊建設自ら工事を引き継ぎました。この時エスカレーターを設置するために、多くの支柱を無くす等、およそありえないずさんな計画で工事を急いだことが、後の事故の主原因とみられています。1995年7月28日、5階の天井にヒビが入り床が傾いている事が従業員と客によって発見されました。29日の朝、天井の亀裂が大きくなっているのに気づいた従業員が上司に報告し、上層部の会議が行われたが、営業は続行されました。午後には建築士が検査しましたが、緊急の問題ではないと過少報告をしました。夕方6時近く、建物は轟音を立てて一気に崩壊しました。多くの買い物客と従業員が瓦礫の下敷きになり、937人が負傷、死者は500人を超えました。
チェルノブイリ原子力発電所事故
1986年4月26日未明、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉である動作テストが行われました。これは特殊なストレステストで、予定通り進みませんでしたが、科学者が実験を強行したと言われています。冷戦中、安全管理の意識が乏しい時代にはありがちなことでした。実際に作業を行ったのは、不慣れな運転員達で、実験を優先するが故に安全装置を解除する等、誤った操作を次々に行いました。炉には元々設計上の欠陥がありましたが、特殊な運転が行われた結果、テスト開始からすぐに原子炉内の蒸気圧が上昇しました。緊急停止は間に合わず、数秒後に炉は爆発しました。炉の崩壊によって、一瞬で大量の放射能が直径30キロの範囲に広がり、周辺諸国に拡散しました。爆発によって2名が死亡、勤務していた作業員や直後に駆けつけた消防員の多くが入院し、30人以上が亡くなりました。
福島原発事故
日本でも、2011年3月11日に福島原発事故が起こりました。チェルノブイリ以上に放射能をまき散らしておりかなり危険な状況に日本はなってしまいました。日本政府からの報道規制が中国に負けない位にあり、過剰な報道規制が行われています。その為、日本国内のTVでは放射能の拡散状態が正しく報道されていません。この福島原発事故がどれほど危険でヤバイかというと福島県だけではなく、関東全体が既に放射能に汚染されてしまっています。安倍首相がアンダーコントロールなどと嘘の妄想発言を繰り返していますが、京都大学の元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章(こいで ひろあき)がお手上げという発言をしている状態です。技術的知識が何も無い安倍首相がアンダーコントロールなどと言って嘘の発言を繰り返していますが、物理学の専門家が制御不能と断言しているのが日本の福島原発事故です。長生きをしたい人は、大阪より西に移住した方が良いでしょう。日本のメディアは報道規制されているため、福島原発事故の真実を伝えていません。福島原発事故の危険性については皆さん自身で正確な知識を身に着ける為にもぐぐって確認してみてください。報道されない事実こそ本当にヤバイ、という事が分かるはずです。
以下は福島を訪問した時の安倍晋三(あべ しんぞう)首相が防護服をフル装備している時の様子です。ネットではフルアーマー安倍と呼ばれています。
おかしいですね。福島原発はアンダーコントロール状態にあるなどと言っていましたが、防護服がかなり強力です。嘘つきが総理大臣の今後の日本の行く末が心配です、、、安心安全、ただちに影響は無い。(数年後は知らん)