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【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その④


【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その③

駅には伝言板があった

昭和の頃は、携帯電話がまだ一般に広く普及していませんでした。

その為、待ち合わせをしても連絡を取り合うのが本当に大変でした。

待ち合わせの際には、駅の伝言板に皆チョークでメッセージを残していました。

伝言板は、駅の改札付近に設置されている事が多く、駅の待ち合わせの際によく利用されていました。

1989年まで消費税は無かった

2019年10月には消費税が8%から10%に上がります。

日本は超増税大国のイメージが皆さんもあるかと思います。

しかし、1989年までは消費税は日本にはありませんでした。

ゴールデンタイムのTV番組に普通に裸の女性が登場

今ではとても考えられませんが、昭和の頃は子供が家族と一緒にTVを見るゴールデンタイム(19時~22時頃)に普通に裸の女性が出ていました。

今とは違って規制がほぼ無くTVはやりたい放題だった訳です。

悪く言えば無法地帯、よく言えば本当に面白いTV番組が沢山放送されていた時代でもあります。

「キチガイ」というワードは現在はTV業界では放送禁止ワードになっています。

英語の「クレイジー」はOKなのに「キチガイ」はダメってホント意味不明ですね。

学校ではOHP(オーバーヘッドプロジェクター)が使われていた

今ではあまり見かけませんが、昭和時代には学校ではOHP(オーバーヘッドプロジェクター)がよく使われていました。

画質はあまりよくありません。

電車の天井には扇風機が沢山ついていた

電車にはエアコンなんて勿論付いていませんでした。

その替わりに天井には、扇風機が沢山くっついていました。

幾ら扇風機で風を送ったところで真夏の電車はサウナ状態だったと言われています。

エアコンとは違って風の温度自体は高い訳なので冷房効果は無かったのです。

駅のホームには淡壺(たんつぼ)が設置してあった

今では全く駅で見る事が無いですが、昭和の駅には痰壺(たんつぼ)が置かれていました。

痰壺は読んで字の如く、この壺の中に痰を吐くのに使います。

痰壺は見る事が無くなりましたが、その一方で痰を吐く汚い輩はまだ一定数います。

そんな汚物人間の為にも、この痰壺を復活させた方が良い、かもしれません。

列車の中のトイレは汚物を線路に垂れ流していた

昭和27年頃まで列車の中で用を足すと、糞尿はそのまま線路に垂れ流されていました。

この写真はその時の様子です。

本当に汚いですよね。

近代化した現代ではまさか日本が?

と思うかもしれませんが、昔の日本は本当にこんな感じでした。

飲酒運転は当たり前

今ではとても厳しい禁酒運転ですが、昭和の時代は飲酒運転は日常的に誰しもが行っていました。

飲み屋でお酒を飲んで車を運転してそのまま帰宅するなんて事もよくあった訳です。

今日では飲酒運転をしようものなら一発免停ですが、昭和の時代には飲酒運転に対するペナルティーが無かった為です。

その為、昭和時代の飲酒運転での死亡事故数は平成の7倍以上もありました。

車を見かけたら突っ込んで来るから気をつけろ!

が合言葉だったとか、なかったとか。

そーいえば、私がインドネシアに旅行に行った時に、現地のタクシー運転手が普通にビール飲みながら運転をしていました。

警察の検問に引っかかった時に、ドライバーがお金を渡してもみ消してもらっていましたw

発展途上国では極々普通にこの様な事が行われている訳です。

アレルギーの認知が皆無

アレルギーなどの認知も全く進んでいませんでした。

「喘息(ぜんそく)は単なる運動不足が原因」と言われており、無理やり教師に走らされて死亡する事故も頻繁に起こっていました。

その様な昭和の世論の影響もあってか、1970年の喘息の死亡者数はなんと1万人近くもいました。

女性へのセクハラが日常茶飯事

昭和の時代には女性に対する人権が蔑ろにされていました。

男尊女卑の風潮がまだ強い時代でもありました。

セクハラは当たり前の時代でした。

大企業であったとしても女性社員へのセクハラは、イタズラで済ませられていました。

そして、妻・子供に対するDV(家庭内暴力)も頻繁に起こっていたそうです。

しかも警察に相談しても

「家庭内の事だから警察は介入出来ない。自分達で解決しなさい」

と警察が取り合ってもくれないのが普通だったそうです。

新幹線で出てくるお茶の容器が変

ペットボトルがまだ開発されていなかった為、新幹線でお茶を注文するとこの様な変な容器にお茶が出されていました。

体温を測る時には水銀体温計を使う

現在では、体温計はデジタルが普通です。

しかし、昭和時代に水銀体温計が使われていました。

温度が上がると水銀が上に上がっていって温度を表示するという仕組みになっています。

体温を測ったら振って元に戻していました。

割れると大変危険でした。

イタイイタイ病の原因である水銀が入っている為です。

100キロを超えるとキンコン♪と音が鳴る

 

昔の車は時速100キロを超えるとキンコン♪キンコン♪と音がなるのが一般的でした。

スピードの出し過ぎだよ~と車が警告を出していた訳です。

テレビが映らない時には叩く

テレビが映らない時にはテレビを叩いていました。

平成生まれの人からすると何で?

と思うかもしれませんが、確かにテレビの調子が悪い時に叩くと映りが良くなるといった事がありました。

その為、現代のじじぃ・ばばぁは電化製品の調子が悪いと叩く人が多いです。

また、ファミコン世代の人はカセットを挿入してもゲームが始まらない時に、挿入口の金属部分に「ふぅ~っふぅ~っ♪」と息を吹きかけていたものです。

 

 

全4回に分けて纏めてみました!

平成生まれの皆さんいかがでしたか?

といっても今日は平成30年です。

つまり平成元年生まれのそこのあなたも既に「おっさん」「おばさん」でーーーす!!

昭和の常識にきっと驚いた事でしょう。

管理人の年齢?永遠の17歳です!!

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では、また会う日まで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その③


【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その②

靴と言えばズック

昭和の子供は、ズック靴という物を履いていました。

平成生まれの人は知らない人が多いと思いますが、現代のじじい・ばばぁはズック靴について余裕で知っています。

暇があればじじぃ・ばばぁに「ズック靴って知ってるぅ~?」って質問してみはいかがでしょうか。

鯨(くじら)の肉は庶民の食べ物

現在ではあまり食べる機会が無いかもしれませんが、昭和の時代鯨の肉は庶民の食べ物でした。

シーシェパードの人達しってるか~~い???

昭和の頃は普通にみんな食べられたんだぜ~~~♪

学校の給食にも普通に鯨の竜田揚げが出ていました。

学校に焼却炉がありゴミを普通に燃やしていた

今ではとても考えられませんが、学校に普通にゴミの焼却炉がありました。

そして、学校で出たゴミは紙もビニールも片っ端から焼却炉にくべてダイオキシンを周辺にまき散らしていました。

掃除の時間になると校長先生や教頭先生が掃除をさぼってよく焼却炉でゴミを燃やしていたのは昭和生まれの人なら誰しも目撃しているはずです。

ゴミ袋は真っ黒がデフォルト

自治体が回収するゴミ袋の色に指定は無く、黒のゴミ袋が普通でした。

黒のゴミ袋をもし今見掛けたら何が入っているか不気味過ぎますよね。

中が見えない黒の為、不法投棄も横行していたそうです。

給料は手渡し

今とは違って給料は銀行振込ではなく、給料袋に現金を入れた手渡しが普通に行われていました。

袋の厚みで給料がだいたい分かる訳です。

100万円は大体1cm程度の厚みです。

手渡しの方が一生懸命働いてお金を稼いだ気分が味わえますよね。

外国人力士は、高見山オンリー

今何かと話題の八百長だらけの相撲業界ですが、昭和の時代、外国人力士は、高見山だけでした。

日本国技なのに外国人が相撲をとっている、と物珍しさもあって大人気だったそうです。

因みに相撲は、ヤンキーあがりが多いです。

ヤンキーの中でも太っていてガタイの良い奴が相撲部屋に志願している様です。

そして相撲部屋では「可愛がり」といって先輩力士が後輩力士を殴る・蹴るのリンチがごくごく普通に行われていました。

相撲協会はこれを全力否定するでしょうが、これが現実です。

あと、相撲とプロレスラーにはホモが多いそうです。

タバコ屋のおばちゃん

昭和の時代には町中におばちゃんが店員をしている小さなタバコ屋が沢山ありました。

しかもこのタバコ屋で駄菓子が売られていたりと何でもありだったのです。

このご時世タバコを吸うのはバカかDQNと相場は決まっていますが昭和の時代には、それらのクズ人間が沢山いたという訳です。

先進国の中で喫煙率が最も高いのが日本です。

本来はこの有害なタバコを厚生労働省が規制すべきなのですが、如何せんこれらの組織の官僚の退職後の天下り先がタバコ会社(JT)になっているのです。

天下りして甘~い汁を吸いたいのでJTなどを野晴らしにしているのが実際のところです。

因みに昔はタバコだけではなく、飲酒の規制も緩かったです。

普通に中学・高校生が居酒屋でビールを飲んだりしていました。

お店にしてみると売上さへ上がればよいので、未成年であったとしても普通にお酒を提供していました。

高校生が集まってビールで乾杯!といった光景も珍しくありませんでした。

ダッコちゃんという真っ黒い人形がブーム

昭和の頃にはこのダッコちゃんという黒いビニール製の人形が大ブームでした。

この人形は両手・両足が輪っかの様になっており腕や足などにくっつける事が出来ました。

子供にとても人気がありました。

また、販売会社のタカラは社標をその後ダッコちゃんをモチーフにしたロゴに変更しました。

駄菓子屋に添加物だらけのお菓子

町の駄菓子屋には、添加物(合成甘味料、着色料、保存料)が踏んだんに使われた駄菓子が沢山置いてありました。

子供相手に毒劇物入りの駄菓子が普通に販売されていたのです。

昭和の時代は、規制が緩くこの様な健康に悪いお菓子が普通に売られていたのです。

最近では駄菓子屋さん自体を見かける事がほぼなくなってきました。

お祭りでカラフルなひよこが売られていた

今では動物虐待として禁止されていますが、昭和のお祭りでは露天商(的屋)がひよこに着色をして販売されていました。

縁日や学校の周辺の路上でカラーひよこはよく販売されていました。

全ての色のひよこを揃える為に沢山買う人もいたものです。

露天商は売上を少しでもあげようと、カラーひよこのみならずひよこが食べる餌も一緒に売っていました。

小学校の女の子の定番の髪型は三つ編み

小学校の女の子の定番の髪型が三つ編みでした。

また、髪の毛を左右に分けて後ろで紐で結ぶダブルポニーテールの髪型も人気でした。

タバコと酒は24時間子供でも買えた

タバコとお酒は24時間子供でも簡単に自動販売機で買う事が出来ました。

今とは違って購入時にタスポなどの身分証明書が不要だったのです。

自販機のみならず子供がお使いでタバコ屋に行っても簡単に買う事が出来ました。

しかも、タバコを買いに行った子供に「あんた偉いわね~」といって駄菓子をくれるおばちゃんもいた位です。

教師の子供に対しての鉄拳制裁は日常茶飯事

今ではとても考えられないですが昭和の時代教師が子供に体罰を与えるのは日常茶飯事でした。

ビンタ・拳骨(げんこつ)は当たり前です。

ただ、完全に今は体罰が無いかというとそういう訳ではありません。

現代でも大阪ではよく体罰を子供に行って逮捕されるアホ教師がたまーにいます。

子供を学校に通わせるなら治安の悪い大阪ではなく、東京が無難であると言えます。

都内は色々と監視が厳しい為、教師が子供に体罰を与えようものなら速攻でTVニュースで犯罪者として報道されます。

良い自浄作業が働いていると言えます。

体罰として有名なところでは、「大阪市立桜宮高校」で顧問をしていた「小村基宛」容疑者が教え子に過剰な体罰を繰り返し自殺に追い込むというあり得ない事件がありました。
大阪はこの様などうしようもないDQN教師の生息率が確率が高いので、お子さんをお持ちの皆さんは十二分に注意しましょう。

長くなって来たので次のページに続きます。

【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その②


【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その①

TVの放送中に「しばらくお待ちください」と電波ジャックされる

TVを見ていると突然「しばらくお待ちください」や「おそれいりますがしばらくそのままお待ちください」といったテロップが出ていました。

TV番組を楽しみ見ている家族同士で、その瞬間に会話が始まり昭和時代の家族のコミュニケーション向上に繋がっていたとか、いなかったとか。

お正月の3日間はどこも閉店ガラガラ

現在(平成30年)では、お正月も営業しているスーパーが都内だとごくごく普通にあります。

しかし、昭和時代にはお正月はどこもしまっているところが殆どでした。

ちょっとした飲み物や食べ物を買いに行こうとしてもどこも閉まっているので本当に大変な時代でした。

それに引き換え現在は便利な時代になりました。

コンビニが本社からの強い圧力により24時間365日休みが無い超絶ブラックなお陰で私達が便利に買い物が出来るという事に感謝しないといけないかもしれません。

お気に入りの曲はカセットデッキで録音

昭和の時代、お気に入りの歌手の歌を録音する際にはカセットテープを入れたカセットデッキをTVの前において手動で録音していました。

当然音質は悪くノイズが入りまくりです。

ファミコンのカセットの様な形状をしています。

カセットという言葉自体、平成生まれの人は知らない人も多いのではないでしょうか。

カップルの事はアベックと呼ばれていた

仲良く付き合っている男女の事を今日ではカップルと呼びます。

しかし、昭和の頃にはカップルではなくアベックと呼ばれていました。

写真が白黒で古ぼけていますが、この二人の昭和時代の人は何だか楽しそうですね。

そう、昭和後期はバブル真っただ中で日本経済もかなり良かったのです。

恋愛・仕事・経済・・・と日本経済の歯車が全てうまくかみ合って回っていた良き時代でした。

一方で今の日本は沈みかかった船なわけです。

政治家と癒着のある大手企業のみが税金を垂れ流してもらい、公共工事を受注して儲かりまくっているという政管癒着の甚だしい時代それが平成です。

弁当箱と学校給食の器はアルマイト製

昭和時代には学校給食や市販されているお弁当箱のほとんどはアルマイト(アルミニウムを加工したもの)製でした。

刑務所で服役している犯罪者に出される臭い飯の盛り付けられた器と同じだった訳です。

また、最近の研究ではアルツハイマー秒の原因がアルミニウムと言われています。

日本でも最近アルツハイマー病が急増しているのと、昭和時代の器の材質が深く関係しているのかもしれません。

アルミニウムが脳に蓄積する事によってアルツハイマー病は、引き起こされると言われています。

信じるか信じないあなた次第です。

野球中継がやたらと延びる

昭和の娯楽といえば、プロレスと野球中継でした。

プロレスは時間が放送される時代がある程度きっちりと守られていたので良かったものの、、野球中継は頻繁に勝手に延長されてしまう事が多かったです。

その為、野球中継の後に放送が予定されている番組の録画予約が失敗してしまう事がよくありました。

野球に全く興味の無い人にとっては迷惑で仕方がありませんでした。

昆虫採集セットとして子供用の玩具売り場に注射器と怪しい液体が普通に売られていた

子供用の玩具売り場(今でいうところのトミカショップみたいなところ)で普通に注射器や怪しい液体の入った昆虫採集キットが販売されていました。

昭和の頃は今とは違って首都圏にも山や川などがまだ多く昆虫採集をする事が出来たそうです。

お先にドロンさせていただきます

昭和の女は、飲み会などで切り上げて帰宅する時には、忍者の真似をし「お先にドロンさせて頂きます」とよくやっていました。

あとは「カツカッチン」という言葉も併せてよく使われたものです。

セブンイレブンの営業時間は23時まで

コンビニエンスストアのセブンイレブンの営業時間は、今とは違って7:00~23:00まででした。

セブンイレブンの名前の由来は営業時間から来ていました。

雑誌に彼氏・彼女募集ページがあった

今ではとても考えられないですが、昭和の頃は雑誌に普通に彼氏・彼女の募集ページがありました。

当時は、出会い系サイトといった物が存在しなかったので替わりに雑誌に募集広告が出されていたのです。

驚くべきは、名前だけではなく住所・氏名・電話番号までもが普通に載っていました。

缶ジュースのフタがプルタブだった

缶の蓋がプルタブで出来ていました。

多くの人が、ジュースを飲んだ後はポイ捨てしていた為に、プルタブがあちらこちらに散乱していました。

NHK・民法ともに放送終了が早かった

TV番組の放送時間が短かったです。

NHKは、夜の11時台で終了し、民放も深夜1時~深夜2時で終了していました。

また、現在のTV番組はコンプライアンスがうるさくつまらない番組が多いですが、昭和の頃は規制が緩く本当に面白い番組が多かったです。

ビートたけしの元気が出るテレビ

とか本当にやりたい放題で面白かったですw

YouTubeなどに過去の動画がアップされているのでご覧ください。

土曜の定番は半ドン

土曜日の午前に学校や仕事が終了して午後がお休みの事を半ドンと呼んでいました。

オランダ語で休日を意味する「ドンタク」が語源になっています。

午後が休みなので半分の「半ドン」と呼ばれる様になったそうです。

シャンプーの時には洗面器を使う

昔はシャンプーをする時には洗面器にお湯を足してシャンプーを泡立ててから頭を洗っていました。

その理由は、当時のシャンプーは品質が悪くそのまま使うと頭の頭皮がやられて剥げてしまう、という噂があった為だそうです。

車に冷暖房なんてものはない

昔の車にはエアコンなんてものはついていませんでした。

冬は寒ければ着込めば寒さを凌げますが、夏はそのままでは暑すぎるので窓全開で走るのが常識でした。

シートベルトをする必要もありませんでした。

その為、事故った時の死亡率が非常に高かったです。

Tシャツはズボンに入れるのが常識

Tシャツはズボンの中に入れるのがかっこいいとされていました。

白いズボンの中に派手なシャツを入れるとモテた様です。

この写真を現代の人が見ると普通にすごくださいですよね。

しかし、当時はこの様なファッション・顔の人がモテモテだったんだそうです。

銭湯でのシャンプー・石鹸の貸し借りが普通

銭湯では家族でシャンプーを貸し借りしていました。

「お父さん(お母さん)、もうお風呂あがるの~?」

「石鹸貸して~、シャンプーも貸して~」といった具合に家族同士で回りの目を気にする事も無く大声を出しあっていました。

貸し借りをする時には子供に男湯と女湯を行き来させていました。

また、入れ墨の入った人も普通に銭湯に入る事が出来ました。

次のページに続きます。

【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その③

 

 


【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その①


こんにちは!ノウハウツリー管理人です!

今日も皆さんに会えて嬉しいです!

どっかで聞いた事があるフレーズ???

そんなの関係ね~~~!!

さて、平成31年(2019年)5月1日から平成から新元号に変わります。

元号が変わってしまうので、平成生まれの人にはびっくりな昭和時代の常識をご紹介します。

なお、ここでご紹介する事は嘘の様で全て本当です。

昭和の常識ってホント恐ろしいです。

昭和の時代はどこでもタバコが吸えた

平成になってからは、レストランなどでも分煙されているところが多くなってきました。

しかし、昭和の時代には電車の中でも普通にタバコが吸えました。

これは電車の中に搭載されていた灰皿です。

なんとビックリするかもしれませんが飛行機の中でもタバコが吸えました。

しかしここで気になる点が出てきますよね。

このご時世は飛行機の中ではタバコは吸えないのに、トイレの中に灰皿が残されています。

これってなぜだと思いますか?

その理由は、例え禁止されていたとしてもタバコを吸う人間は一定数いるからです。

乗客が禁止されているのに、タバコを吸ってしまった場合にタバコを安全に消す場所が必要という事で残している飛行機もあるのです。

飛行機の中で万が一吸ってしまった場合、日本の航空会社の場合には注意程度で済む様ですが、アメリカの航空会社の場合、即警察に連行され逮捕されるそうです。

日本もその位になって欲しいと個人的には思います。

昭和時代には電車・飛行機の中でもタバコが吸えたわけですからなんとバスの中でも普通に吸えました。

ご覧の様にバスの座席にも灰皿がこうして設置されていました。

当然の様に映画館でもタバコを吸う事が出来ました。

さらにさらにオフィスの中でもタバコを吸う事が出来ました。

むしろデスクでタバコを吸いながら仕事をするのはごくごく当たり前の光景でした。

学校の先生も職員室でたばこを吸っていました。

他にも病院の待合室でも普通に吸っていました。

私が子供の頃こっそりタバコをすった時にむちゃ怒られたのですが、怒ってきた教師自体がヘビースモーカーでした。

色々と昭和の時代はゆるかったのです。

例えば、車もシートベルトの着用は必要ありませんでした。

バイクはノーヘルでOKで、しかも二人乗りもOKでした。

携帯電話が携帯出来ないレベルの大きさ

昭和時代の携帯電話はなんとこんな巨大なサイズでした。

初期に登場した携帯電話ですが重量は何と1キロもありました。

ちょっとした筋トレになったはずです。

そして当時の携帯電話の通話料金は驚く程高かったです。

1分あたり230円もかかりました。

ホテルや旅館のテレビが有料だった

ホテルとか旅館に備えつけられているテレビは有料でした。

100円を入れてもたった1時間しか見られませんでした。

ブラウン管テレビは、150W程度なので1時間の電気代なんて4円位です。

かなりのぼったくりですね。

現在でも病院のベッドに、このタイプのテレビが備えつけられている事があります。

そういう病院は医院長がケチという事です。

学校の印刷物が「わら半紙」

昔は学校の印刷物は主に「わら半紙」という黄ばんだ紙でした。

わら半紙は、稲わらや麦わらで出来ている半紙の事です。

半紙とは、縦25cm 横35cm以内のサイズの和紙をさします。

ボウリングのスコアは手書き

今日では、ディスプレイにシステムが自動でスコアを表示してくれます。

しかし、昭和の時代には紙に手書きだったのです。

個人の経営しているレンタルビデオ店

昭和の頃には、個人のやっている小規模なレンタルビデオ店がところどころにありました。

今日では、TUTAYAなどの大手DVDショップの台頭によって個人のビデオレンタル店はほぼ壊滅状態となりました。

なお、最近ではDVD自体も借りて見るのではなくネットでストリーミング配信を使って鑑賞するのが主流となりつつあり、個人レンタルビデオ店を潰したTUTAYA自体がつぶされそうになっています。

ざまぁ~です。

トイレには「ちり紙」がトイレットペーパーの替わりにおいてある

トイレには、昭和の頃は、トイレットペーパーではなく「ちり紙」が置かれていました。

平成生まれの人は知らない人が殆どではないでしょうか。

ちり紙は、ポケットティッシュのサイズを4倍位にした大きさのティッシュペーパーみたいな物です。

肌触りは現代人にとってはざらざらしており、お世辞にも良いとは言えません。

TVで流れる映画にはもれなく解説者がいた

昭和の頃にTVで流れる映画には、必ずその映画を解説する人がいました。

皆さんもご存知の「金曜ロードショー」には「水野晴郎」さんが解説をしていました。

「いや~映画って本当にいいものですね。」というキャッチフレーズをご存知の方もいるかと思います。

知ってるそこのあなたは、おっさんかおばさんのどちらかですねw

お母さんはエプロンではなく、割烹着を着ていた

最近ではSTAP細胞の小保方さん依頼、割烹着を着ている人を見る機会がぐっと減ってきました。

昭和の頃にはお母さんは料理を作る時には割烹着(かっぽうぎ)を着ていました。

テレビでも最近はほとんどみかけないですよね。

昭和の電話と言えば黒電話

昭和時代の電話は、この様なダイヤル式の黒電話が一般的に使われていました。

番号の位置に小さな穴が開いておりそこに指を入れて右側に回す事で、電話をかける事ができたのです。

オシャレとして黒電話にカラフルなカバーを付けているご家庭もありました。

電話のみならずドアノブにもカバーをかけている家庭もありました。

 

次のページに続きます。

【驚愕】昭和時代の常識がやば過ぎる!!おっさん・おばさんなら知ってるよね!? その②